冷戦時代に経験した厳しい現実が最果ての地にあった 1983年の大韓航空機撃墜事件

1983年9月1日 大韓航空機007便は、航路を誤り樺太(サハリン)を横切る領空侵犯で、当時のソ連戦闘機に撃墜されるという事件が発生しました。
この石碑のメッセージには「事件の真相はかならず近い将来にあきらかにされるでしょう」となっているが、2026年現在もどうして航路がずれたのかという根本的な原因は不明のままです。
その石碑のとなりには撃墜された方向を示す塔が立っている。

事件当時、サハリン(樺太)対岸にある稚内の自衛隊レーダーサイトや通信基地は、ソ連軍の無線交信を傍受するなど、事件の真相を握る世界で最も重要な「情報戦の最前線」でした。
実は40年前、自衛官として大韓航空機撃墜事件の冷戦期に、東千歳通信所稚内分遣班へ出張していた。当時と街並みは驚くほど変わっていなかったが、決定的に違っていたのが『エゾシカ』の存在だ。
かつて国防の緊張感が漂っていた最北の街は、いまや民家の周りをシカが平然と散歩する野生の王国に変貌していた。
あの頃の緊迫感を知る身としては、別の意味での恐怖を覚えるドライブとなった
写真は稚内市街地

流氷溶けて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬

宗谷岬という歌はダ・カーポの名曲です。
それまで白い流氷に覆われていた海が、春風と共に開けると外国の船が通っていく。
情景が浮かんでくるようです。
それだけこの辺りは冬は厳しい環境で、とにかく風が強い!!
バイク・自転車で行く場合はとばされないように気を付けて走ってくださいね。
¥438 (2026/07/23 16:31時点 | Amazon調べ)

